半世紀以上ぶりに行った駒場のキャンパスは、新緑で青々としていました。
夫が用事あって行くというので、部外者の私も喜んでついて行ったのでした。
遥か昔、ワン婆(おチビからの呼称)が学生時代にデートした場所です。

緑生い茂る駒場を歩きながら、昔読んだ「されどわれらが日々ー」(柴田翔)を思い出し、どうしても読みたくなって帰りに書店で買いました。
1964年に芥川賞を取った作品で駒場が舞台であり、私は高校時代に読んだのでした。
久しぶりに読んだら、なんと面倒くさい小説であることか。
学生運動で荒れ狂った50年代、運動に身を投じ悩み苦しむ学友が周りにいる中で、主人公の「私」はとりあえず中立の立場。幼馴染の延長のような「節子」という婚約者がおり、せっせと学士論文を書いているが、その実、かつては他の女性と色々遊んでもいた。
その描写がなんともまどろっこしい。

「ただ、私達は自分の性的欲望を知っていたし、それを充足することを別に悪とは、特にそれを善とは思わないのと同様、思わなかった。勿論男と女が寝るということ、或いはそれに伴う人間関係は、善悪、或いはその不在だけで片付く問題ではないが、私達にはそれだけで片付くような錯覚、というより、片付けようとする傾向、があったようだ」(P126)
「そして、そうした激しい感情が、芝生の緑の萌える駒場の構内を歩く私の空虚を、充たし、補うかに見えたこともあった。しかし、その激しさは、空虚を支えはしなかった。その激しさは、空虚と何の差支えもなく併存し、間もなく消滅した」(P127)
いやいや、こんなのを私は若い頃、感動して読んでいたのか(フアンの方いたらゴメンナサイ)。
勿論、複雑緻密なストーリーがあるのに、ここだけ取り上げるのはどうかと思いますが。
この登場人物たちはよく手紙を送り合うのですが、例えば「曾根への佐野の手紙」というのは、文庫本にして38頁ある。
「節子から私への手紙」も同じ位。
今の時代だったら、こんな長い手紙、誰も書かないし、読まないだろうなあ…

キャンパス内にお洒落なフレンチ・レストランができたというので、ランチしました。
「ル・ヴェソン・ヴェール」、お手軽な値段で、十数種類の新鮮野菜のサラダ・ブッフェがあるのは嬉しいが…💦